
絵本作家の祐彩(ゆうせい)です。
絵本は子どもと一緒に読むもの…。そんな印象の強い絵本ですが、大人がふと手にとったときにだけ見える景色があります。
仕事のこと、人間関係、やるべきことに囲まれる毎日のなかで、置き去りになっていた気持ちが静かに浮かび上がってくるような。
絵本は、大人にとって思い出の入り口ではなく、むしろ、いまを照らす小さな灯りのような存在なのかもしれません。
絵本の世界には、物語として書かれていない部分がたくさんあります。
言葉にしない間や、描かれていない空白。そこに、大人は自分の経験や気持ちをそっと重ねます。
たとえば絵本『ハレとアメのきらきらあつめっこ』も、子どもは ハレとアメのおもしろ可笑しいやり取りを楽しんだりしますが、大人の場合「私はハレとアメどっちなのかな…」「自分にも、こういう面があったよな…」と、別の側面から絵本に触れることがあります。
おはなしの中で絵のひとつとして、太陽がずっとハレとアメを見守っている構図も、大人の場合、そこに何かを当てはめたり意味づけたりする場合もあれば、その余白にほっと息をつけることがあるのかもしれません。
多くの絵本は、何かの正しさを示すものではないけれど、読み進めるうちに、心のどこかがそっとあたたかくなる瞬間があります。
それは、「やさしくできなかった昨日」でもなく、「完璧だった日の自分」でもなく、もっと曖昧で、静かな灯りのようなもの。
アメが『きらきら』を集める意味を探し続けたように、大人も日々の中で「私は何を大切にしたいのだろう?」と見失ってしまうことがあります。
でも、おばあさんに手を差し伸べたアメが感じた、からだの奥がふっと温かくなるようなあの瞬間は、
誰にでも見覚えがあると思うのです。
絵本は、その感覚を思い出させてくれるとても素敵なツールです。
絵本は、読み終えた後に答えをくれるわけではありません。
けれど、忙しい日常の中で働き続けていた心を、そっと休ませてくれる力があると思うのです。
絵本のページを閉じたあとに、自分に意識が向いたり、毎日の小さなことを大切にしようと思ったり、
誰かにかける言葉が少しだけ柔らかくなったり…。
そんな小さな変化を、大人は敏感に感じとるものです。
絵本『ハレとアメのきらきらあつめっこ』も、今の自分の気持ちに寄り添う視点で読むと、子どもの頃には気づかなかった「あなたの灯り」をそっと照らしてくれるはずです。
大人が絵本を読むという行為は、誰かのためでも、学びのためでもなく、本当の自分を思い出すためのひとつの方法だったりして…。
そしてその時間は、思っているよりずっと深く大切で、やさしいものなのかもしれません。
