
絵本作家の祐彩(ゆうせい)です。
絵本を読む時間は、ただ物語を追うだけのものではありません。
ページをめくるたびに、子どもの心のどこかで、小さな芽のようなものがふくらんでいくことがあります。
それは、わくわくだったり、もやもやだったり、自分でも名前がつけられない気持ちだったり。
そんな見えない「芽」のひとつに、やさしさの出発点があると思っています。
絵本の読み聞かせの「手順」や「正解」は、僕は誰かに教えたり教わる必要はないと思っています。
むしろ、親や子どもが読み聞かせの時間で感じたこと、体験したことが、一番大切だと考えています。
たとえば、絵本『ハレとアメのきらきらあつめっこ』を読むときも…
ハレの行動を応援したくなったり、アメの反応に「なんで?」と眉をひそめながらも、その気持ちが少しわかったり。
そのすべてが、その子の心にだけ芽生えた小さな反応です。
大人はつい、「こういう意味なんだよ」「ここのポイントはね」と説明したくなりがちですが、芽は説明よりも、感じたままの方が育ちやすいのかもしれません。
読み聞かせのとき、子どもがあなたの声を聞きながら絵を見ている。
それだけで、すでに特別な時間が生まれています。
大切なのは、親子で同じ場面や主人公の表情を見つめながら、その世界に身を置いていること。
「どのページが好き?」
「このとき、どんな気持ちだと思う?」
そんな問いかけをしてみてもいいですが、無理に会話を引き出さなくても大丈夫なことだってあるのです。
子どもは、大人が想像するよりずっと静かに、物語の奥にあるニュアンスまで受け取っています。
絵本『ハレとアメのきらきらあつめっこ』に常に出てくる『きらきら』も、見えないのにあるものですが、子どもはその曖昧さを楽しむ天才です。
こちらが説明しなくても、子どもが言葉にできなくても、その概念や輪郭を自分なりにキャッチできています。
芽は、そんな瞬間にそっとふくらみます。
絵本は、読み終わったあとにも余韻が残ります。
そして、そこから始まる日常の小さな動きが、やさしさの芽を育てるうえで、とても豊かな土壌になります。
絵本『ハレとアメのきらきらあつめっこ』を音楽演奏や舞台朗読でショーにしたライブ絵本ルーミーパークでは、物語を体験したあとに『きらきら』を集める遊びが続く仕掛けがあります。
絵本を読み終わった瞬間から、物語と現実がゆるくつながっていくのです。
ありがとうを伝えたり、家のお手伝いをしてみたり…。
子どものなかで、「これ、きらきらかな?」と感じる出来事がゆっくりと育っていく。
それは大人が導くものではなく、言葉で説明するものでもなく、子どもの中の芽が自分で伸びようとするときに自然に動き出す力なのです。
