
絵本作家の祐彩(ゆうせい)です。
優しさって、どんな形をしているのでしょう。
色があるわけでも、音が鳴るわけでもありません。手に取ろうとしても、つかめない。
それでも、たしかに感じる瞬間があります。
誰かに声をかけてもらったとき。
困っているときに、そっと手を差し伸べられたとき。
あるいは、自分が誰かのために動いたあと、胸の奥が少しあたたかくなるとき。
絵本『ハレとアメのきらきらあつめっこ』に出てくる「きらきら」は、そんな目には見えないものが、カタチになったものなのかもしれません。
絵本『ハレとアメのきらきらあつめっこ』の中で、きらきらは雪のように空から自然に降ってくるものではありません。
誰かを思って行動したとき、誰かの喜びに心が動いたとき、いつのまにか、そっとそこに集まってくるものとして描かれています。
ハレのまわりにきらきらが集まる場面も、アメがきらきらを追いかける場面も、「こうすればいい」「こうあるべき」とは語っていません。
ただ、行動のあとに、何かが残る。
その感覚だけが、静かに置かれています。
絵本が進む中で、アメは気づきます。
欲しかったものは、きらきらそのものではなかったことを。
誰かのきらきらを手に入れることでもなかったことに。
ひつじのおばあさんを助けたとき、からだの奥からじんわり広がる感覚。
それは説明しようとすると、言葉が足りなくなってしまうものです。でも、多くの人が一度は味わったことがある感覚でもあります。
きらきらは、探しに行くものではなく、気づいたら、そこに生まれているものなのかもしれませんね。
この絵本を読んだからといって、何かをしなければいけないわけではありません。
ただ、誰かに親切にしている場面を見たとき。
自分が何気なくした行動を振り返ったとき。
「あ、いま、きらきらだったかも…」
そんなふうになったら素敵だな。そんな風に思っています。
優しさは目に見えない。
でも、感じることはできる。
絵本『ハレとアメのきらきらあつめっこ』は、
その感覚を、そっと思い出す絵本なのかもしれません。
